『ゆっくり生きる。』

Pro_Unrat2008-01-31



「おれはとうとう石屋になってしまった
ほかにはどうするアテもなかったのだ」

つげ義春無能の人』の出だしである。

スローライフもしくはLOHASと聞くと、なぜかこの作品が思い浮かぶ。

作家の川上弘美は、自身のエッセイで「無能の人」の主人公について『何十もの「とうとう」の決算のような人生』として、作品の感想を『暗くさびしい漫画だが、大いなる安らぎが、ここにはある。安らいではいられないけれど、つい、安らいでしまう。この末世ともいうべき時代に、たいそうふさわしい』と結んでいる。

「安らいではいられないけれど、つい、安らいでしまう」
芦屋市立美術博物館主催の三人展『ゆっくり生きる。』を見終えた後も、同じ感想を抱いた。

例えば、赤崎みまの暗がりに発光するオリーブやブドウを見たとき、そこに美しさと同時に気軽に近付けない不穏さを感じ取る。

森口ゆたかの室内を覆う揺れ動くロープの映像は、母胎に包まれるような安堵とともに抜け出す事を妨げられるような焦躁感も得る。

松井智惠の大人になったハイジが白い寝巻姿で、町をそぞろ歩く映像*1からは、森口の作品とは逆に永遠なるものに対する寄る辺なさと、それでも求めてしまう安息の地を想像させられてしまう。

企画側は今回の展示に『速度を気にすることのない時間の捉え方を実施する機会となることをめざし、』『立ち止まりや逆戻り、矛盾や混沌をゆるやかに肯定する視線』を観客に感じてほしいと解説する。

流行のスローライフLOHASを再確認し、それとはまた別の新たな価値観として、ゆるやかに肯定する事。
それは諦めでも、投げやりでもない、ありのままで生きるという、苦行にも似た願いだ。

三人の作家の現代と向き合う切迫した想いを、小さな美術館の隅から隅まで使い、ゆっくりと肯定する。
客は作品をまさに体感し、楽しみながら、そして、ふと気付くのだ。

この展覧会の副題が「What is the Real Nature of Being?」という疑問文であった事を。

小さな町の美術館が、作家の想いをわかりやすく、そして真摯に解説しようと試みたキュレーションに拍手を贈りたい。

展示は2月24日まで行われる。
この機会を見逃す手はないだろう。


芦屋市立美術博物館のホームページ。http://www.ashiya-web.or.jp/museum/01top/f_top.html

*1:アルプスの少女ハイジで、クララの家に住む事になったハイジが夢遊病になり故郷の山を求め、夜の屋敷を白のシミーズ姿でうろつくというエピソードがある